TOKIMEKI LIGHTS

神と菩薩と帝王を自担に持つジャニヲタ社会人が自由に思いを書き連ねる場所。

1/24 ジャニーズWEST CONCERT TOUR 2016 ラッキィィィィィィィ7 福岡公演

1月24日。

約40年振りの大寒波が私の住む九州に襲い掛かった日。

私は「不要不急の外出は控えろ」というさまざまな媒体から流れてくる警告を無視して、この日に17歳の誕生日を迎える妹とその友達と共に、マリンメッセ福岡にいた。

通常なら車で1時間半程度で着く距離を、行きは2時間半、帰りは3時間掛けて行き、こうなることなら電車で行けば良かった…でも駅までは車じゃん…?道路完全に雪積もってるぜ…?っという状態だったので、これで良かったのかもしれない。最悪諦めざるを得ない状況だったわけだから。

 

開場は10時にも関わらず、8時半に着き、寒さに震えながら(何しろ冬の現場は初めてなもので)なるべく風の当たらない場所でこれから始まる1時間半もの地獄を味わうのだと感じていた。

そして9時半。入り口付近が騒がしくなってきたと思ったら、30分早く開場してくれた。メンバーからの要請なのか、スタッフの判断なのかは知らないが、本当に有難かった。

そしてコンサートが始まる1時間半前に会場入りした私は、改めてマリンメッセの狭さを知る。近い。スタンドAブロック12列84番。ちなみにスタンドAブロックは確か18列ぐらいあった。そしてその後ろに「スタトロ」と呼ばれるものが通る、広めの通路がある。前から12列目なのに、外周が近い。メンバーの顔がちゃんと見える。私が余ったチケットを譲った重岡担(前日が初対面)の子と私の過去の参戦話(ほとんどが自担に振り向いてもらえなかった話)でげらげら笑いながらその時を待つ。ちなみに、妹とその友達はアリーナB1ブロック43、44というなかなかの強運を掴んで、「1/24 誕生日」のうちわをこの日のために作って挑んだ。

 

そして開演時間の11時。始まらない。何故だ。流れる「粉モン」や「ええじゃないか」に合わせながらファンが歌い踊り、そして我に返ってクスクス笑うという初めて見た光景が広がっていた。(なんだかんだ言って私も参加していたが)

 

やっと開演。やっぱり、どのアーティストでもコンサートが開演するときの高揚感は変わらないのだなといろんなところをほっつき歩いてきた私は改めて思う。

ジャニーズWESTの楽曲自体は、知ってるものもあるし、知らないものもある。何しろ、直前までアルバムの曲を聴いていなかった(結局始まるまでに全曲聴けていなかった)のだからしょうがない。それでも、すごく楽しかった。

小瀧望×藤井流星の「Terrible」はくっそかっこよくて「キャー♡」という歓声よりもお口あんぐりで固まってたし、重岡大毅×神山智洋の「Lovely Xmas」可愛くて綺麗で1ヶ月前のクリスマスそのもので、桐山照史×濵田崇裕の「こんな曲作りました」はトンチキだしC&Rも面白いし、この二人っぽい曲だし、中間淳太の「TAMER」はもう…「淳太様」だし。

 

それでも一番印象に残っているのは関ジュが歌う関ジャニ∞のMasterpieceだからもう私はただの事務所担。

 

さすが関西のグループ。MCがくっそ面白い。(大体私が入ったジャニーズの魂はみんなMCが面白いんだが)

そしてミッションのコーナー。あれ、どっかで見たことあるなーって思ったらあれだ。ゼウスだ。回る棒の上を飛んだりくぐったりってやつ。

 

濵田うちわを持った私のところには相変わらず濵田くんは来なかったけど(相変わらず自担に干される私)楽しかった。淳太くんの踊りをマジマジと見て、Jr.歴の長さを感じたり。たまには自担G以外のコンサートに行ってみるのもいいなと思った一日でした。

 

妹が大量の銀テを獲得したようで、全色揃うかなーってしていたのに、肝心の黄色を他の人にあげてしまって凹んでいた我が妹なのでした。(妹は中間担)

そして姉はペンライトの振りすぎで2日後に二の腕が筋肉痛になって妹から「年取ったんじゃない?」と言われ凹んだのでした。(4歳差なのに)

 

各楽曲ごとの感想は気が向いたら書きます(笑)

 

12/06 WOWOW V6祭りについて

とにかく、WOWOWさんにはお礼を言いたい。

 

今まで、福山雅治ファンを何年もやってきて、年末の年越しライブを生放送してくれていたWOWOWさんなのだが、未だかつて自分からここまで入りたいと思ったことは無かった。

 

しかし今回、V6魂が放送されると知って、WOWOWのカメラワークの上手さと、画質の綺麗さはよく知っていたので、V6ならどんな感じになるんだろうと思って入会を決意した。

 

昨日の事前特集。20年間を1時間にあんなに上手くまとめるなんて天才。舞台裏までしっかり入れていて、さすがだなーと思った。

 

そして今日。怒涛のV6祭り。

 

亀梨くん主演のジョーカーゲームも録画したかったから、頑張ってHDD7時間以上空けた。戦った。

 

まずは、ハードラックヒーローホールドアップダウン

 

V6全員で主演した映画だというからこれは絶対見なくては!!と思い、見ました。

 

長野さん、あの運転は吹き替えですか自分でやったんですか。

 

長野さんなら余裕でドリフトとかこなしそうなんですけど。

 

ってか、運転しながらぶつぶつ呟いてケタケタ笑い出すの、正直怖いです(笑)坂本さんみたいなリアクション普通に取っちゃいました(笑)

 

長野さんって、ハンドル握ると人変わりそうですよね。あくまで想像ですけど。

 

あと、森田くん。2作品とも、誰かを病院に連れてってますよね。

 

あとはひたすら「坂長ぁぁぁ!!!!」ってなってました、ええ。好きなもので。

 

まずはもう一回見直します。

 

 

 

そして!!20時半!!

 

待ちに待ったツアー最終日の模様!!

 

10/4、初めてV6のコンサートを見たあの日を思い出しました。

 

それぞれの曲ごとに感想を書きたいと思うので、もう一度見直して、それからこの部分だけまた記事上げようかと。いつになるか分かりませんけど。

 

とりあえず今言えることは、カメラワーク最高!!V6最高!!大好き!!avexさん、DVD期待してるよ!!ってことだけですかね。

私なりの言葉で、私の気持ちを書き連ねる。

ブログの説明にも書いてある通りに、私はKAT-TUNが好きだ。
中丸担と名乗ってはいるが、私は基本、好きになったグループはメンバー全員好きになる人である。だから勿論田口くんも好きだ。

赤西仁が脱退して、KAT-TUNが5人になった時、私はもうKAT-TUNからは離れていた。

田中聖が事務所を解雇され、KAT-TUNが4人になった時、その時も私はKAT-TUNではなく嵐担だった。

だから、事実としては知ってはいたけれど、ファンとして見ていたわけじゃない。


そして昨日。

田口淳之介が脱退して、KAT-TUNが3人になると告げられた日、私は中丸担としてhyphenとしての日々を送っている最中だった。


嵐もA.B.C-Zも今までメンバーが脱退したことはない。(A.B.C-Zに関してはメンバーが増えたことはあるけれど。その時は存在すら知らなかった)だから、私にとって、「脱退・退所」という事実を突き付けられたのが初めてのことだった。Jr.も好きだけど、私が好きなのは石垣大佑と後藤泰観という、ジャニーズの舞台では必要不可欠な人達だから、本当にこういうことは初めてで。
だからこそ、どうすればいいのか分からないし、気持ちをどうコントロールすればいいのかも分からない。

今言えることは、亀ちゃんも言ったように、「なぜ今でなくてはいけなかったのか」と、「ここまでして貴方が譲れないものは果たして何なのか」この2つ。
そんな内容なら、ベストアーティストの舞台ではなく、きちんと記者会見なり何なりして欲しかった。時間の限られた生放送じゃくて、時間がゆっくりとれて、一人一人の言葉で伝えられる記者会見が何故出来なかったのか。
何が何だか分からないし、今は何も考えたくない。

私は4人のKAT-TUNが好きだ。6人のKAT-TUNも、5人のKAT-TUNも、好きじゃないという訳ではない。でもやっぱり4人がいい。それは私が4人のKAT-TUN時代に一番hyphenとしてのピークが来てるからかなと思っている。
3人になったKAT-TUNの姿がまだイメージ出来ない。というか、したくない。田口淳之介がいないKAT-TUNなんか見たくない。それが私の本心だ。
だからと言って、KAT-TUNは嫌いになれない。嫌いになったらスッキリするのにやっぱり無理だ。それは、自担の存在もあるし、いろんなことを乗り越えて強くなったグループとしての絆に惹かれたというところもある。


私は、田口くんのダンスとアクロバットが好きだ。あの長い手足から繰り出される華麗なダンス、高身長なゆえに到達点高めなロン宙。何だかんだ言って、KAT-TUNで一番カッコイイのは亀ちゃんよりも田口くんだと思っている。高貴でロイヤルで真面目で面白い。下手したら私は田口担なんじゃないかというぐらい田口くんが好きだ。それは多分「KAT-TUNとしての田口淳之介」が好きなのであって、「KAT-TUNじゃない田口淳之介」だったら、ここまで好きになれているか疑問である。もう「KAT-TUN田口淳之介」をこの目で見ることが出来ない後悔の念に苛まれている。東京だからと諦めた、quarter。行けばよかった。私にとって、最初で最後の「KAT-TUN田口淳之介」をこの目で見たのが、2014年8月23日のcome Here福岡公演。トロッコに乗ってスタンド席までやってきた田口くんが最後に振り向いて微笑みを投げてくれたあの瞬間が最初で最後になるなんて。
春コンでお別れが言えると思ってた。そんな夢も、今朝打ち砕かれた。Johnny's WebのKAT-TUNのページから春コン開催決定の文字が消えていた。それを知った瞬間、昨日まであった一縷の望みが跡形もなく、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。


今は少し時間が欲しい。4人のKAT-TUNを今は直視することが出来ないでいる。KAT-TUNの曲を聴けないでいる。こうやって、自分の気持ちをつらつらと書き連ねることで、自分の気持ちを整理して、またKAT-TUNに笑顔を向けられるようになりたい。

亀ちゃん、上田くん、ゆっち、少しだけ時間をください。私はKAT-TUNのことを嫌いにはならないし、3人でまた歩き出す日が来たら、その時は全力でサポートしていきます。
だから、あの時グループの一員としての未来より、自分自身の未来を選んだ田口くんが、辞めなければ良かったと後悔するぐらいのグループになってください。



今はまだ、グループとしての未来は真っ暗になってしまったけれど、そこに光を灯すのは残されたメンバー達の努力であり、私たちの声援なんじゃないかなって思う。



何だかまとまりの無い文章になってしまったし、言い足りないこともあるかも知れないから、また言いたいことがまとまったら加筆しようかなと思います。

田口くんが退所すると聞いて。

泣きそうです。中丸担だけど。
今はショックな気持ちと、どうして?って気持ちと、もういろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって纏まらないから、田口くんに対する想いは私自身の気持ちの整理がついたら改めて書きます。

私がジャニヲタになるまで

別に誰かに影響されたわけではないけれど、このブログを始める時に、絶対書こうと決めていた内容が、私がここまでジャニーズにハマるまでと過去の担当の変遷についてだ。

 

 

今思うと、私がジャニヲタになるのは必然だったんじゃないかと思う。

 

私の母親は多分ジャニーズが好きだったんだと思う。だって家に光GENJIのCDがある。今でも。

 

それに、私が幼稚園生の頃からKinki Kidsを散々聞かされ続けていた。それこそ硝子の少年とかフラワーの頃だ。アルバムだってある。

 

父親は80年代アイドル大好き人間。それは今でも変わらない。物心ついたときからPRINCESS PRINCESSを聞かされ続け、同年代の人たちでは絶対知らないような曲だって歌えてしまう。

 

そして、V6がデビューした年、つまり1995年に生まれた私は、幼稚園生にしてSPEEDが好きだった。そして小学校低学年の頃の憧れといえば、モーニング娘。将来の夢は歌手かアイドル(似たようなものだが)だった。とりあえず、歌を歌うことを仕事にしたかった。実は今でもなれるものなら歌手になりたいと思っている。

 

そして私が小学校5年生の頃。ついに私がジャニーズに手を出し始める。KAT-TUNがデビューする直前。野ブタをプロデュースを観ていた私はまんまと修二と彰にハマってしまった。休み時間の空き教室で友達と一緒に歌いながら踊っていた。今でも、青春アミーゴを歌うなら踊らないと気が済まない。

 

そんな私だから、デビューした直後(当時小学6年生)のKAT-TUNにも勿論ドハマりしてしまう。クラスの女子は亀梨派か赤西派に分かれ、私は赤西派に所属していた。有閑倶楽部の魅録さんが大好きだった。Real Face歌ってた。これも休み時間の空き教室で。その頃にはPCでインターネットも習得していたので、ひたすらネットで赤西くんの画像を漁っていたり。ちなみに、4つ下の妹もいるのだが、妹は亀梨派である。(私が赤西派、妹が亀梨派だったという話は最近妹に聞いて思い出したのだが)

 

そして月日が経ち、中学生になった私は、いつの間にかKAT-TUNから離れ、道明寺をきっかけにして嵐ファンになった妹を追うようにして嵐が好きになった。最初は「茶の間ファン」と呼ばれるような感じのファンだった。テレビに出てたら見る。録画する。それくらい。しかし、段々とのめり込みはじめ、CDを買ったり、テレビ誌を買ったりドル誌を買ったりし始めた。ちなみに初めて買った嵐のCDはTroublemakerである。

私がはっきりと嵐に堕ちたのは魔王で成瀬領役をやっていた大野くんがきっかけである。今でも一番好きなドラマのキャラクターは成瀬さんだ。成瀬様と呼んでいる。そこから、特上カバチをきっかけにして櫻井くんが好きになり、毎週月曜日のZEROを録画して、櫻井くんのコーナーだけは残してDVDに焼いたりとかそんなこともしていた。

 

そんな私が嵐担を降りようと思い始めたのは、ハワイライブの開催発表がきっかけだった。追いかけるのに疲れ、「嵐ファンはマナーが悪い」とジャニヲタ内からも批判が出て。「こんな人たちと同類にされたくない」という思いが強くなり始めていた。そして、ハワイライブのライブビューイングを見に行ったのを区切りにして、嵐担をすっぱりと降りる決意をした。

 

嵐担を降りようかどうか迷っていた頃、これまた妹が観ていた少年倶楽部をきっかけに、A.B.C-Zに興味を持ち始めていた。苦労人な舞台職人で、自分たちが売れるためなら努力を惜しまないところに惹かれてどんどん好きになっていき、担降り先に選んだのはA.B.C-Zだった。実はデビューの時に私が一番好きなメンバーは五関くんではなく橋本くんである。

どうして私が五関担になったのか、どういうきっかけで五関担になったのか、それは私が聞きたい程覚えていない。本当に「いつの間にか」好きだった。でも、去年の年明け、NHKの深夜(といっても日付が変わるころ)ぐらいにあっていた番組でA.B.C-Z全員出た時は五関くん!!と言っていたので一昨年には確実に五関くんに落ちている。でもTwinkle Twinkle A.B.C-Zが出た時は橋本くんに沸いていたので、その間なのは確実だ。これも妹に聞けば分かるのかな…。

 

そんなこんなで見事A.B.C-Z沼に嵌ってしまった私が次に嵌ってしまったのがKAT-TUNである。そう。私の小学校高学年時代を見事に席巻していたKAT-TUNである。しかし、私が再びKAT-TUNを好きになり始めたときにはもう赤西くんはいなかった。(KAT-TUNは緩く好きだったが、いつ頃から再熱したのかは覚えていない)そんな私が好きになっていたのが中丸くんである。それこそ、中丸くんもいつから好きで、どういうきっかけで好きになったのか全く覚えていない。この人も「いつの間にか」好きになっていた。初めて行ったジャニーズのコンサートは去年の8/23、COME HERE福岡公演である。この日をきっかけに、私の中丸担速度は急上昇していったのである。

 

ここで止めておけば良かったのだが、次に私が落ちてしまったのがV6である。学校へ行こう!が大好きでよく見ていた私は、数あるジャニーズグループのなかで一番長い間観ていたのはV6だったのかもしれない。SPをきっかけにして岡田くんが好きだった私は、V6もよく見ていた。その中で、またもや「いつの間にか」岡田くんではなく長野さんに目が行き始めていた。そして、20周年記念ツアー。福岡公演があると知り、絶対行きたい!!と思っていた私は、チケットの譲りを探し始めた。しかし、そう簡単に見つかるはずもなく。そんなときに舞い込んできたのがローチケでの先行発売。フォロワーに福岡公演の同行者を見つけた私はその子と結託してチケットを無事入手できた。行ける日を楽しみにしていた私に降りかかった突然のお知らせ。私が中学2年生の9月をきっかけにドハマりした、福山雅治さんの結婚報道。傷心の私は、「V6に癒してもらおう」と行った10/4の福岡公演をきっかけにV6に転げ落ちるように好きになっていったのだ。

長野さんのうちわを持って、視線は長野さんを追っていて。その時までは「V6では長野さんが好き」だった。しかし、Sexy. Honey. Bunny!で長野さんが坂本さんから奪ったイントロ直後の「Sexy.」にまんまと引っかかった。完全に射抜かれてしまった。あの瞬間、私は「長野さんが好き」から「長野担を名乗ろう」と決意したのだ。

そこからが早かった。その2週間後にはジャニショでTimelessの長野さんの写真を全買いし、その2週間後には「好きなメンバーは長野博」でファンクラブに入会金を振り込む私がいたのだ。

 

 

 

これが五関担、中丸担、長野担を名乗ることになった私の過去の変遷である。

我ながら、凄い道のりを辿って来たなとしみじみ思う。

 

ちなみに、私が好きになるメンバーは「ギャップ」がキーワードである。あとは、この3人の名前を挙げると、「優しい顔の人が好きなんだね」と言われた。確かにそうだなと振り返って思う。あとは、「全員センターを張っていない」というところもある。真ん中でキラキラ輝いている人よりも、端っこで努力している人がいい。そこが自担と呼んでいる3人の共通点だなーと思っている。

戸塚祥太誕生日によせて

もう2日過ぎてしまったのだが、やっぱりこのことには触れておくべきだろうと思う。

 

2015年11月13日。

 

A.B.C-Zのトキメキ担当(伊坂さん命名)である戸塚祥太の誕生日だ。

 

29歳だと。20代最後の年に突入するのだ。信じられない。

 

 

28歳のとっつー(私は普段彼をこう呼んでいる)を生で見たのは、多分今年のEarly summer concert大阪公演日である6月13日のみだろう。

 

私は地方民の為、基本的には東京の現場には顔を出すことは出来ない。なので、ABC座もJOHNNY'S WorldもSummer Paradiseも見ることは出来なかった。

 

4月の恋するヴァンパイア、同じ4月の広島に原爆を落とす日、8月の日本のいちばん長い日、昼ドラレギュラー出演…28歳の戸塚祥太は「俳優」としての顔をたくさん見せてくれた1年だったように思う。

 

私は五関担だが、とっつーの演技を見るのが好きだ。

 

本当に芝居が好きなんだな、と思わせてくれる演技をしているなと思う。(私は芝居のことは完全に素人なので大それたことは言えないが)

 

安定感と言うか何というか。「戸塚祥太なら大丈夫」と思わせる何かがあるのではないかと思う。よく分からないが。

 

歌っているとき、踊っているとき、ギターを弾いているとき、演技をしているとき、メンバーと一緒に談笑をしているとき、彼はいろんな表情を見せる。

 

真剣な顔、猫ひげスマイル、眉間に皺を寄せて考えたり困ったりする顔…などなど。

 

戸塚祥太の魅力は一言では表せない。見れば見るほど、知れば知るほど好きになる、ハマっていく、そんな存在なのではないかと思う。確かに顔はカッコいい。美男子だ。

 

何だかまとまりのない文章になってしまったが、とっつー、お誕生日おめでとう!!

 

29歳の戸塚祥太の1年も、どんな活躍をしてくれるのか、非常に楽しみである。

 

 

 

 

 

P.S.

舞台が決まって、物凄くテンションが上がっている。

昨年の7月に「出発」の京都公演を見た以来の戸塚祥太主演舞台をこの目で見ることが出来るかもしれない。

「寝取られ宗助」とはまた凄いタイトルだけれども。

Twinkle魂以来、個人の現場でさえ全く来なかった九州・福岡の地に戸塚祥太が舞台をしに来てくれる。そのことだけでも嬉しかった。関門海峡越えてくれたよ。

この時期だけでも福岡でのテレビ露出を進めるため、各テレビ局に売り込みをしていきたいくらいいろいろと燃えている。

 

ありがとう、戸塚祥太。ありがとう、ジャニーズ事務所

V6デビュー20周年によせて。

11月1日、V6がデビュー20周年を迎える。

1995年、私が生まれた年にデビューしたV6。

私がV6を好きになったきっかけはSPの岡田くんだった。

夜中の放送だったから、リアタイしようにも眠気が襲う時間帯。

毎週録画して何度も見ていたことを今でも覚えている。

小学生の頃から学校へ行こうを欠かさず見ていた私にとって、V6は沢山いるジャニタレの中で一番長い間見てきたグループなのかも知れない。

そんなこんなで、長年私の中でのV6の立ち位置は、「好き」なグループであって、「担当」と呼ぶグループではなかったのだ。

メンバーの顔と名前、年齢順ぐらいしか知らなかったぐらいだ。


その私が、今長野担を名乗っている。

岡田くんがきっかけでV6が好きになった私が、どこでどういうわけで長野さんを見るようになったのかは分からない。(というか、自担と銘打っている人はみんなそう)

何気なく行った(行きたいとは思っていたがまさか取れるとは思っていなかった)今回のツアーで完全に落ちるとは思っていなかった。


V6がこの20年の間に何があってどういうことを乗り越えてきたのかはこれから追々先輩ブイ担の皆さんに教えてもらったり、自分で調べながら知っていくこととして、これから先のV6は、私自身一人のブイ担として一緒に時を刻んでいくのだ。

楽しみで仕方ない。


V6の皆さん、ツアー完走おめでとうございます!!

皆さんが浴びた20万枚のメッセージの中に、勿論私が書いたものもあります。

先輩、後輩、ファンを愛し愛され、一方通行ではない相思相愛な関係性が、いろんなところを渡り歩いてきた私から見るとすごくいいなと思っています。

これからも輝き続けるV6の皆さんを1人のファンとして楽しみにしています。