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TOKIMEKI LIGHTS

A.B.C-Z 五関晃一、KAT-TUN 中丸雄一、V6 長野博を自担とする私が自由気ままにのんびり思いを書き連ねる場所。

私がジャニヲタになるまで

別に誰かに影響されたわけではないけれど、このブログを始める時に、絶対書こうと決めていた内容が、私がここまでジャニーズにハマるまでと過去の担当の変遷についてだ。

 

 

今思うと、私がジャニヲタになるのは必然だったんじゃないかと思う。

 

私の母親は多分ジャニーズが好きだったんだと思う。だって家に光GENJIのCDがある。今でも。

 

それに、私が幼稚園生の頃からKinki Kidsを散々聞かされ続けていた。それこそ硝子の少年とかフラワーの頃だ。アルバムだってある。

 

父親は80年代アイドル大好き人間。それは今でも変わらない。物心ついたときからPRINCESS PRINCESSを聞かされ続け、同年代の人たちでは絶対知らないような曲だって歌えてしまう。

 

そして、V6がデビューした年、つまり1995年に生まれた私は、幼稚園生にしてSPEEDが好きだった。そして小学校低学年の頃の憧れといえば、モーニング娘。将来の夢は歌手かアイドル(似たようなものだが)だった。とりあえず、歌を歌うことを仕事にしたかった。実は今でもなれるものなら歌手になりたいと思っている。

 

そして私が小学校5年生の頃。ついに私がジャニーズに手を出し始める。KAT-TUNがデビューする直前。野ブタをプロデュースを観ていた私はまんまと修二と彰にハマってしまった。休み時間の空き教室で友達と一緒に歌いながら踊っていた。今でも、青春アミーゴを歌うなら踊らないと気が済まない。

 

そんな私だから、デビューした直後(当時小学6年生)のKAT-TUNにも勿論ドハマりしてしまう。クラスの女子は亀梨派か赤西派に分かれ、私は赤西派に所属していた。有閑倶楽部の魅録さんが大好きだった。Real Face歌ってた。これも休み時間の空き教室で。その頃にはPCでインターネットも習得していたので、ひたすらネットで赤西くんの画像を漁っていたり。ちなみに、4つ下の妹もいるのだが、妹は亀梨派である。(私が赤西派、妹が亀梨派だったという話は最近妹に聞いて思い出したのだが)

 

そして月日が経ち、中学生になった私は、いつの間にかKAT-TUNから離れ、道明寺をきっかけにして嵐ファンになった妹を追うようにして嵐が好きになった。最初は「茶の間ファン」と呼ばれるような感じのファンだった。テレビに出てたら見る。録画する。それくらい。しかし、段々とのめり込みはじめ、CDを買ったり、テレビ誌を買ったりドル誌を買ったりし始めた。ちなみに初めて買った嵐のCDはTroublemakerである。

私がはっきりと嵐に堕ちたのは魔王で成瀬領役をやっていた大野くんがきっかけである。今でも一番好きなドラマのキャラクターは成瀬さんだ。成瀬様と呼んでいる。そこから、特上カバチをきっかけにして櫻井くんが好きになり、毎週月曜日のZEROを録画して、櫻井くんのコーナーだけは残してDVDに焼いたりとかそんなこともしていた。

 

そんな私が嵐担を降りようと思い始めたのは、ハワイライブの開催発表がきっかけだった。追いかけるのに疲れ、「嵐ファンはマナーが悪い」とジャニヲタ内からも批判が出て。「こんな人たちと同類にされたくない」という思いが強くなり始めていた。そして、ハワイライブのライブビューイングを見に行ったのを区切りにして、嵐担をすっぱりと降りる決意をした。

 

嵐担を降りようかどうか迷っていた頃、これまた妹が観ていた少年倶楽部をきっかけに、A.B.C-Zに興味を持ち始めていた。苦労人な舞台職人で、自分たちが売れるためなら努力を惜しまないところに惹かれてどんどん好きになっていき、担降り先に選んだのはA.B.C-Zだった。実はデビューの時に私が一番好きなメンバーは五関くんではなく橋本くんである。

どうして私が五関担になったのか、どういうきっかけで五関担になったのか、それは私が聞きたい程覚えていない。本当に「いつの間にか」好きだった。でも、去年の年明け、NHKの深夜(といっても日付が変わるころ)ぐらいにあっていた番組でA.B.C-Z全員出た時は五関くん!!と言っていたので一昨年には確実に五関くんに落ちている。でもTwinkle Twinkle A.B.C-Zが出た時は橋本くんに沸いていたので、その間なのは確実だ。これも妹に聞けば分かるのかな…。

 

そんなこんなで見事A.B.C-Z沼に嵌ってしまった私が次に嵌ってしまったのがKAT-TUNである。そう。私の小学校高学年時代を見事に席巻していたKAT-TUNである。しかし、私が再びKAT-TUNを好きになり始めたときにはもう赤西くんはいなかった。(KAT-TUNは緩く好きだったが、いつ頃から再熱したのかは覚えていない)そんな私が好きになっていたのが中丸くんである。それこそ、中丸くんもいつから好きで、どういうきっかけで好きになったのか全く覚えていない。この人も「いつの間にか」好きになっていた。初めて行ったジャニーズのコンサートは去年の8/23、COME HERE福岡公演である。この日をきっかけに、私の中丸担速度は急上昇していったのである。

 

ここで止めておけば良かったのだが、次に私が落ちてしまったのがV6である。学校へ行こう!が大好きでよく見ていた私は、数あるジャニーズグループのなかで一番長い間観ていたのはV6だったのかもしれない。SPをきっかけにして岡田くんが好きだった私は、V6もよく見ていた。その中で、またもや「いつの間にか」岡田くんではなく長野さんに目が行き始めていた。そして、20周年記念ツアー。福岡公演があると知り、絶対行きたい!!と思っていた私は、チケットの譲りを探し始めた。しかし、そう簡単に見つかるはずもなく。そんなときに舞い込んできたのがローチケでの先行発売。フォロワーに福岡公演の同行者を見つけた私はその子と結託してチケットを無事入手できた。行ける日を楽しみにしていた私に降りかかった突然のお知らせ。私が中学2年生の9月をきっかけにドハマりした、福山雅治さんの結婚報道。傷心の私は、「V6に癒してもらおう」と行った10/4の福岡公演をきっかけにV6に転げ落ちるように好きになっていったのだ。

長野さんのうちわを持って、視線は長野さんを追っていて。その時までは「V6では長野さんが好き」だった。しかし、Sexy. Honey. Bunny!で長野さんが坂本さんから奪ったイントロ直後の「Sexy.」にまんまと引っかかった。完全に射抜かれてしまった。あの瞬間、私は「長野さんが好き」から「長野担を名乗ろう」と決意したのだ。

そこからが早かった。その2週間後にはジャニショでTimelessの長野さんの写真を全買いし、その2週間後には「好きなメンバーは長野博」でファンクラブに入会金を振り込む私がいたのだ。

 

 

 

これが五関担、中丸担、長野担を名乗ることになった私の過去の変遷である。

我ながら、凄い道のりを辿って来たなとしみじみ思う。

 

ちなみに、私が好きになるメンバーは「ギャップ」がキーワードである。あとは、この3人の名前を挙げると、「優しい顔の人が好きなんだね」と言われた。確かにそうだなと振り返って思う。あとは、「全員センターを張っていない」というところもある。真ん中でキラキラ輝いている人よりも、端っこで努力している人がいい。そこが自担と呼んでいる3人の共通点だなーと思っている。